2013年9月13日金曜日

第23回例会発表概要 鴛淵泰通

 来る2013106日(日)に行なわれる日本音楽理論研究会第23回例会で発表する、鴛淵泰通氏の発表概要を掲載いたします。

「短三和音に特殊な内在的不協和性の自然的根拠」 鴛淵泰通


1722年成立の「平均律クラヴィア曲集第一巻」で、バッハは、24曲の短調曲のうち23曲までを長三和音で終止させる。1744年編纂の(いわゆる)「第二巻」では短調曲の半数以上が短三和音のまま終止することになる。合唱曲では例えば「371四声コラール集」(17841787、エマヌエル・バッハおよびキルンベルガー編)中、短調曲の94パーセントほどが長三和音(ごくわずかのフリギア終止を除いて、いわゆるピカルディー終止)で終わる。長三和音終止の割合はルネサンス期の宗教合唱曲ではさらに際立つと予想される。

 短三和音を「翳った」三和音とすれば、ルネサンス期合唱曲では徹底して、バロック期でも一定程度、史的事実として、その「翳った」三和音を終止に用いることが忌避また回避されていたことになる。その「忌避」「回避」に、美学的、倫理的、宗教的また史学的な理由や意味付けが説得的になされるならば、実に意義深い。他方で当然、この「回避」「忌避」に、何らかの自然的、音響的根拠を見出そうとする者もあろう。その場合には「長三和音」「短三和音」とは、さらに、その「翳り」とは何か、とあらためて「物的」に問う必要が生じる。

「鶏肉」「トマト」「塩」「酢」「オリーブオイル」「香辛料」等を用いた「美味しい」料理のレシピ、また「料理」そのものを作る者に、「塩」「酢」「オイル」「食材」等を、必ずしも「物理化学」的に知る必要があるわけではない。一方で「美味しさ」の根拠を「諸素材」「熱」「時間」等を通して「物理化学」的に知ることを望む者があったとしても何の不思議もない。

古典派やロマン派の和声感覚で「翳り」として現れるものが、バロック期ルネサンス期の音感覚(むしろ事実的音事象)においては、「暗いくすみ」さらには「終止としては受け容れがたい混濁」であった、との仮説の提起また検証が今回の主題である。それに際して音律や、部分音の集合体としての単音の内部構造に触れ、特に、無伴奏合唱や弦楽アンサンブル等の実践家にとって近頃とみに馴染み深い(ようである)「結合音―差音」の生成付加という事実を十分に生かしたい。


「音楽理論」の重要な役割が、いわば、一定の「音習慣」の精緻な体系的定式化にあるならば、「音実体」そのものの根拠付は、音楽学のどの分野が担うのであろうか。音楽家が「音習慣」「音実体」の双方から逃れ得ないのは確かだとして、、、。

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